ケンカがしたい

仕事でトラブル続出といか,巨大トラブル発生... 周りは大人の対応... もうちょっと闘ってもいいのではと思うのだけれど。
アフター・ファイヴは憂さ晴らしに,池袋へ。
今日も山本富士子特集。
豊田四郎監督の『いかなる星の下に』(東宝,1962)と『憂愁平野』(東宝,1963)。
どちらの映画も森繁久彌がいい味出してました。
『いかなる星の下に』は底辺に暮らす家族が,さまざまな荒波に呑まれながら,まうますどん底に落ちていくという話。その中で,山本富士子演ずる美佐子は幸せを掴もうとするのだが,いつもここぞ!,今だ!,やっと!という時に,自信の弱さ(愛しい男に重い雨が伝えられない+別れたはずの夫=森繁久彌に騙されて身を任せてしまう)のせいで,そして家族がらみのトラブル(妹の自殺,もう一人の妹の香港出稼ぎ,父(=加藤大介)の脳梗塞+自宅での闘病,母のアル中)が邪魔して,幸せが掴めない。
映画を見ながらなんど「ゾラの世界だ!」と思ったことか。特に,ラストで美佐子=山本富士子が,長年思ってきた池部良を自分の部屋に連れ込む直前で酔っぱらった美佐子の母と卒中でろれつの廻らぬ父が必死で美佐子を呼ぶ場面は,人生の残酷さ(自分の幸せを家族に阻止されてしまう!)がリアルに伝わってきてゾラの以上にゾラ的でした。
『憂愁平野』は『いかなる星の下に』に比べるとかなりの駄作。山本富士子=妻と森繁久彌=夫,新珠三千代森繁久彌と親友だった男性の妹),仲代達矢新珠三千代のいとこ)が織りなす,四角関係。特筆すべきは,山本富士子新珠三千代も,仲代達矢ではなくて,森繁久彌にひかれる所!
仲代達矢は役者としては大根だけれど... やっぱりとてもカッコイイ(容姿そしてあの声!)。なのに,なぜか二人の美女は,お世辞にもカッコいいとはいえない森繁久彌にたまらなく惹かれてしまう。いかに駄作とはいえ,この設定だけでも,見る価値はあるのかも。