帝銀事件

熊井啓監督の『帝銀事件 死刑囚』(1964年)を見る。
帝銀事件については何も知らなかったのだが,改めて<冤罪>の恐ろしさにおののいた。また,当時から731事件関係者とこの事件との関連が取りざたされていたことには驚いた。森村誠一による『悪魔の飽食』シリーズや,常石敬一の研究以前には,日本ではほとんど知られていないと思っていたからだ(自分の無知が恥ずかしい)。
映画としてもとてもよく出来ている。
確かに,欠点がないわけではない。記者と事件被害種の恋愛にかんするシークエンスは無くてもいいのでは,と思われた。また,聞いていて恥ずかしくなるような台詞もある。安易な演出も散見する。クライマックスの音楽は聞くに堪えなかった。ただ,これらの欠点はもしかすると,熊井啓の作品にはよく見られる問題点かもしれない。
これだけ多くの欠点を抱えながら(だから熊井啓が嫌いという人の考えもよく分かる),熊井啓の作品に何かしらの魅力,力のようなものが感じられるとすれば,やはり熊井の作品は「オレがこの映画を作らなければ,未来永劫闇に埋もれてしまう事実がある」という強い信念が貫いているからだろう。