<女好き>という問題(途中)

ドン・ジョヴァンニ』(プラハ版)を見る。
稀代の女性好きであるドン・ファンという人物像がヨーロッパ各地の芸術家を刺激してきた理由として,キリスト教,特にカトリック諸国では結婚,恋愛に関するタブーが強く働いていたことが考えられる。
ドン・ファンはたんなる女好きという問題を突き抜けて,<人はどこまで自由でいられるのか>という問いをヨーロッパ社会に叩き付けずにはいないのだ。その意味では,モーツアルトのオペラでは,どこか憎めない所のあるドン・ジョヴァンニもひたすら他者=女性を自分の支配化に置こうとする点で,作者モーツアルトの同時代人であるサドの仲間であることは忘れてはならないだろう。
そのようなきわめて思弁的な人物を舞台に載せるには,やはり音楽の制約を受けるオペラや,韻律の規則に捕われた詩劇より,散文演劇の方が適っているような気がする。

この作品を見ると,改めてモリエールドン・ジュアン』の<救いのなさ>が浮かび上がってくる。これはもちろん褒め言葉だ。
ドン・ジョヴァンニより120〜30年若いドン・ジュアンの方が,欲望の強さ,同時代への批判の激烈さ,父なる審級への攻撃の徹底振りで,ドン・ジョヴァン二よりも先を行っている観がある。