孤独という宝物

今日は,若い友人たちと会食。2時間飲み放題で会費が2000円。当然野菜と炭水化物が中心となる。ヘルシーと言えば,ヘルシーなのだろうか...
本当に若い人たちなので,話は当然友だちや異性のことが中心となる。私には友だちができるだろうか... 彼氏彼女ができるだろうかという...不安というか心配が,彼らの心の中で大きなウエイトを占めている事をあらためて痛感する。もっとも,この手の話題を振ってくるのは大抵女性で,男性ははるかに子供で,パチンコや免許といった絶望的に卑近な話題に終始しがちである(もっと正確に言うと,恐らく,同じような不安は抱えているはずなのだが,同性の年配者の私の前ではあえてそういうテーマに触れたくないのだろう)。
私は,長い人生の中で,若い時に独りでいられること,自分の好きな事と向き合える時間がどんなに貴重で,実は彼らの<不安>は同時に<宝物>でもありうることを説いたのだが,かなり受けは悪かった...

ポッドキャストしたラジオ番組(『歴史工場』)で,1981年5月10日の20時以降(つまり,フランソワ・ミッテランの大統領当選が決まった一夜)の様子を編集したのを聞く。あれから30年。若いときの<宝物>を活かせなかった後悔の念ばかりが強まる今日この頃だ...