みんなが富士山に登るわけではない

先日のことだが,業界では有名な教科書会社の営業の方がお見えになるので,しばし談笑。
今はどんな教科書をお使いですかと尋ねられて...『フランス語2001』だと答える。
色々な教科書を使ってきたけれど,この教科書にであって以来,他の教科書が使えなくなってしまった。
私の勤務先は大学2年生からフランス語で専門的な文献を読む必要があるような大学ではない。むしろ,自分は語学に向いてないとか,語学が苦手という固定観念を抱いてる学生さんが多いところだ。
そうした人々を対象に,仮に接続法までを半年ないし1年で終わらせようとすると,教室で収拾がつかなくなる。受講生は努力に見合った語学力がついたという感覚を味わえない。フランス語を勉強する意欲が持てないし,意味が見出せない。そもそも,2年生から外国語で専門的な文献を読むわけではないので,大学で新たに外国語を学ぶ必要性を感じることもない。
誰もが富士山を目指してフランス語を勉強するわけではない。とりあえず,自分の家のまわりを散歩することからはじめて,結果として,いつかは富士山を目指す気になってもらう。そんな学習の仕方があってもいいはずだ。
その点で『フランス語2001』はとてもよくできている。凄い所は,最小限の努力で自分の日常をフランス語で最大限言い表すことを追求した点だと思う。『フランス語2001』に類する,というかインスピレーションを得た(パクったとは,恐ろしくて言えない!)教科書は色々出ているけれど,残念ながらこれに勝る教科書は出ていない。恐らく出ないだろう。
自分の日常を語るのに必要な<最低限>の情報しか,この教科書には出てこないからだ。これ以上,削ると日常が語れなくなる,そこまで内容を吟味し,絞り込んでいる。普通は,あれもこれも盛り込みたくなる。だれだって勉強したことは誰かに伝えたくなるし,記載されている情報の量イコール教科書の質と未だに多くの語学教師が無意識のうちに考えがちだ。
その傾向に反し,学習内容を限界まで絞り込んでいるところに教科書の凄さがあるのだと思う。
だから,『フランス語2001』の後を追う教科書は,この教科書が削った余計な何かをどうしても掲載せざるを得ない(そうしないとまったく同じになってしまう)。

その他,『えすかるご2』の例文が,今日の社会常識からして,異様に時代遅れ(女性差別とも取れそう)であることも申し述べさせて頂いた。営業の方はメモをとっておいでだったが,改訂版がもしも出れば,その時にはどうなっているかしら。