アルノー・デプレシャンの圧倒的な偉大さについて

アルノー・デプレシャンの『Un conte de Noël』を見ることにする。
何となく期待はしていたのだけれど,期待をはるかにうわまわる映画だった。圧倒的に美しく,重厚で繊細な映画だった。一流の哲学者のような深い人間理解と,職人のような映画人としての技量と,これだけ豪華なキャストを自由に操れるカリスマ性があってはじめてこのような素晴らしい映画が撮れるのだろう。
数年前からバラバラになっていた三人の子ども(といってもてみんないい年をした中年)と従兄弟が,難病を患った母親を元気づけようと,クリスマスに子供や恋人を連れて実家に集う。映画はその前後の数日間を物語る。予想できることだが,子供,従兄弟たちはだれもが複雑で,解決不可能な問題を抱えている。そこで実家でもイザコザ,喧嘩,言い争い,気まずい沈黙が絶えない...
こう書くと,とても絶望的な映画のようだが,映画を見終わった時に観客を暗い気持にさせないところが,この映画の凄い所だ。逆に,観客はそれぞれの登場人物の<他にどうしようもない>生き方に,深い共感を感じる。
そもそも,人の一生なんて<喪>の連続だ。恋人との別れや両親との死別を経験したことのない少年だって,赤ん坊だった自分,子供だった自分に別れを告げて成長する。どんなに幸せな大人だって,若者であった自分を<喪>に伏して大きくなっていく。
いわんや大抵の大人たちは,何らかの形で一度は焼き付くような恋心や,野心,掛け替えのない恋人,初恋の人を失って大きくなる。そしてその傷は大抵,癒えることはない(他のことに関心が移って,傷のことを少しずつ気にしなくなるということはあるにしても)。
生きることとは誰かを,何かを<喪に伏す>ことなのだろう。
そしてこの映画は,それぞれの登場人物それぞれが心の底に抱いているさまざまな<喪>が織りなす物語といっていいだろう。すべての登場人物が完全ではなく,心に傷を抱えていながら,ほぼすべての登場人物に共感しないではいられない...
分かりやすさ,単純さがこれだけ求められる時代に,このような引き出し=問いかけの多い,そして答えのない,そしてまさしくこの<答えのなさ>によって観客に絶大な開放感(救いと言いたい所だが)を与えてくれる映画が存在するなんて,これが奇跡でなければ,なんなのだろう?