『最強のふたり』あるいは街の映画館で考えたこと

ご招待で『最強のふたり」というフランス映画を見る。
恥ずかしながら,日本の映画館ではもう5年以上もフランス映画を見ていなかった...
この映画,ヨーロッパ諸国では大ヒットを記録したらしい...
ジェネリックでフランス最大のテレビ会社TF1が製作に加わっていることが分かったので,覚悟してみたら...やっぱり覚悟通りの映画だった。TF1とはどんなテレビ局か... 説明するのは難しいけれど,日本ではフジテレビと比較的付き合いのある局といえば,ご想像がつくだろうか... その程度のテレビ局です。
映画に話しを戻そう。パラグライダーで事故にあって,全身が麻痺し,しかも奥さんと死別した初老の大金持ちの男性(もちろん白人だ!)と,それを介護する若者(やはり黒人!)の交流を描いた映画という設定である。冒頭に「本当の話から着想を得た」という注意書きが字幕でアナウンスされる。
しかしこんな風にアナウンスされても... 見てる方には何が「本当の話」なのか,そして「着想を得た」後に「本当の話」がどんな具合に映画のストーリーに膨らんでいったかは,皆目検討がつかないのだから。
そもそも,観客は「本当の話」を求めていない。「本当らしさ」しか求めていない。でなきゃ,誰もSF映画なんてみないだろう!
恐らく映画がこれほど<本当の話し>ということにこだわり,あざとく強調するのも,この映画のストーリー自体に本当らしさが欠けているからだろう。
しかし,この映画がフランスをはじめとするヨーロッパで受けたのはなんとなく分かる気がする。経済危機と,<南>からの移民にあえぐフランスでは再び,人種差別が猛威をふるっている。<共生>の論理,価値がこれまで以上に危機にさらされている。80年代なら人種差別に関わる犯罪があれば数万人が通りに殺到し,人種差別反対のデモをしたものだが,今では人種差別に関わる犯罪が半ば普通のことになってしまった。フランの誰もが似た者同士= entre soiの論理に逃げ込もうしている。そんな社会では,『最強のふたり』のような一見すると異人種間の交流を描いたような映画を見て安心したい人が多いのだろう。
この映画では人種の壁を越えているようで,すべてが,誰もが<いるべき場所,あるべき場所>(サルコジが好きだった言葉だ!)に収まっている。
映画の中の黒人は,普通の介護士とは違うように見える。でもそれはあくまで外見だ。豊かで文化的な白人に尽くすのは黒人で,その代わりに白人は黒人を文明化する。植民地時代から繰り返されてきた構図が意匠を変えて執拗に繰り返されているだけだ。
最後の字幕だと,この映画の元になった介護士はいまでは会社の社長だそうだ。そして私たちが本当に見たいのは,そんな黒人が社長になってゆく姿だ!しかしそんな映画で果たしておヨーロッパで客が呼べるだろうか。
最強のふたり』をパリ北部に暮らす移民たちはどんな気持でみたのだろうか。