『あまちゃん』はあまちゃんか?

多くの方がそうであったように,ここ数ヶ月は堪能させて頂きました,『あまちゃん』。
最終回,物語世界の中で,大したことが起こったわけでもないのに(恐竜の化石の発見くらい),目頭が熱くなりました。
恐らく,理由は2つあると思われます。
1)一つは,お父さん以外の東京に生活の基盤がない人たちがみんな出てきて,円環がきちんと閉じた感じがしたこと。
2)それでいて,いわゆる大円団ではなかったこと。震災後の復興の困難さ,ますます厳しくなって行くであろう田舎の生活の今後がきちんと示されていたこと。
最終回,潮騒のメモリーズの唄で盛り上がるお座敷列車の車窓に広がるのは,土砂に埋もれたままの海岸線です。そして,やっと元気になったユイちゃんは,自らアキちゃんをさそってこれから復旧されるはずのトンネルを駆け抜けようとします。しかもこのシーンの前の,ナレーションでは,線路は東京へとつながっていることがはっきり述べられていました(と思う)。つまりトンネルの向こう側,トンネルの果てにはかつてユイちゃんが憧れて,行きたくて,行きたくてたまらなかった大都会,東京があるわけです。こうして,『あまちゃん』は色々あって大変な思いをしてきたユイちゃんがやっと元気になって,相方のアキちゃんを自分で誘って,自分の足で東京のある方向へ,元気に可愛く駆け出すシーンで締めくくられるわけです。
そう,状況がすこし落ち着けば,都会に暮らしていた人は足早に都会に戻り,未来のある若者は元気に都会を目指すという,田舎でずっと暮らさざるを得ない人にはもしかすると残酷な結末(でも,これがおそらく現実なのでしょう)がきちんと示唆されているのです。
エンターテイメントでありながら,現実から目をそむけていない。そう意味で『あまちゃん』が描いている世界って,「ぜんぜんあまちゃんじゃない」って思ってしまいました。