パリで見たマルコ・ベロッキオ

もう1ヶ月以上も前のことだが,旅先でマルコ・ベロッキオの『ポケットの中の握り拳』(1965)を見た。
近代的な都市生活とは切り離された山の中で孤独に暮らすブルジョワ一家。盲目の母,容姿端麗で頭脳明晰な長男,ため息が出る程美しい娘,その娘に恋する癲癇持ちの次男,知恵おくれの三男。そんな一家が厳しい自然の中でひっそりと生きている。長男は町の娘とつき合っているが,母の面倒を見るためにいつも手もと不如意。
次男がその状況を察して,母を崖から突き落とし,三男をバスタブで溺死させ... 自らもてんかんの発作で死んでしまう...
あらすじを記すだけで,暗澹とした気持ちになってくるが,このような絶望的な状況をベロッキオは,徹底して冷徹に淡々と,美しく描く。いかなるリリスムに陥ることもなく。
イタリア北部の山々の残酷なまでの美しさと,屋内シーン,特に愚かさが支配する食事の時の絶対的な閉塞感+絶望感。我々はよく「あの人は計算高い」といった表現を非難を込めて使うが,ベロッキオのこの映画は人間はどこまでその<計算>で行動できるかの,思考実験とさえ言えるだろう。『ポケットの中の握り拳』は。感傷主義を徹底して排することによって生まれた,とても美しい悲劇だ。