教育の現状を語る困難

佐々木賢『商品化された教育:先生も生徒も困っている』(青土社)を読む。
英米の教育の現状を具体的な例をあげて報告しつつ,そこから日本の現状を考察した本。...そして,日本の英米の後追いに警鐘を鳴らした本... ここに紹介してある事例には面白いものもある。たとえば,全国テストの実施は,問題作成やデータの分析を私企業に丸投げしていて,企業は莫大な利益をえていることなど...(日本でもベネッセやNTTデータがこうした仕事を受注しているとのこと)
著者自身,特にデジタル技術の進歩により子供を取り巻く環境が大きく変化していることを認めている。
なのに,この本から感じ取られた,懐古趣味=パセイストな匂いは何故だろう?私の誤読だろうか?子供がよく育つには,著者が本書の後半で主張しているように<昔のように外で遊ばせればいい>,というわけには行かないだろう。
恐らく,子供たちは,私たち大人が思っている以上に,世の中の動きに敏感なのではないだろうか。独特の嗅覚を備えている気がする。情報源はテレビニュース,友だちとの話,先生からの話と,かなり限られているのだけれど。
今学校で行われている勉強が,将来の役に立たないことを,よ〜〜く知っている。私たち大人も,子供の時にはそう思っていたかもしれない。
だが,私たち(ちなみ私はもうすぐ老人の中年オヤジです)が子供のころには<社会>をもっと具体的にイメージできた。
サラリーマン以外の仕事,つまり額に汗して働く工員がいた,近所には一日中働いている魚屋,ガラス屋,薬屋のおじちゃん,おばちゃんがいて,ほかにも議員,漁師,農業従事者がいて,その子供たちが私たちの遊び友だちだった。いつかは<あんな大人になる>とか,いつか<あんなに働く>ということが当たり前の事実としてあった。世の中には色んな仕事,つまり色んな生き方がある事,大人になるには色んな道のりが可能であることが具体的に分かった。

ところが,今は... ブルーカラー,ホワイトカラーの違いはあるにせよ,みんなサラリーマンだ,団地に住んでいる子供が<社会>を,<働くこと>をイメージすることはとても難しい。
勉強が役に立たないことが分かっていて,社会とか働くってことが具体的にイメージできない。そりゃ,学校でお利口にしろ,きちんと勉強しろというのが無理だ。

しかも,日本はどんどん貧しくなっている。そして,そのことを子供は(何故なのか,どういう風にしてかは分からないけれど)とても強く感じている,分かっている。そして,子供が算数頑張ったり,国語の漢字を覚えるくらいでは,この流れは変えようもないことを。子供は我々が思っている以上に計算高い

今の教育問題とは,もしかしたら,子供に大人が追いつけてないことを,問題化しただけの話なのかもしれない。