奇跡... あるいはどうして多くの日本人はかくも野球が好きなのか?

周りからは,お前が観戦すると負けるからと言われていたのだが...
結局この連休はテレビの前で野球漬け...
しかし... <流れ>を感じてしまうのは私だけだろうか...

冷静に戦力を分析してみて... 今のホークスは,リリーフ陣を除いて群を抜いて注目すべき戦力がある訳けではない。
ただ,ここ数日,勝ち方がちょっと変だ。確実に相手のミスをうまく利用している。前カードのロッテ戦も,ロッテのミスはかなり多かった。しかし,ホークスはそれを活かせなかった。
ところが,この西武との3連戦は相手のミスを見事に突いていた。人間のやることだから,選手はもちろん,審判もミスをする(この3連戦の審判はかなり酷かったけれど... )。ミスはスポーツの一部だ。ミスの多い試合はつまらないが,さりとてミスが全くないゲームはこの上なく退屈だ。
そして野球の魅力は,他のゲームに比べて,<ミス>が担うウエイトがきわめて多い点にあるだと思う。
どんなに優れたピッチャーでも,100球続けて(いや,10球でさえだ!)完璧に捕手の要求通りに投げられるピッチャーはいないし,どんな強打者でも甘い球を打ち損じる。そしてそれこそが野球だ。ミスが野球の構造を形作っている。ミスこそ野球の本質だ。
そして,このミスの構造的な多さは,もちろんルールの複雑さと,異常なまでの試合時間の長さ,審判(とりわけ球審)の占める理不尽なまでの重要性と複雑,かつ深く繋がって,野球の不条理な魅力を形成していることは言うまでもない。優れたピッチャーが投込んだ渾身のストレートを,間抜けが球審がボールと判定してせいで,瞬く間に打ち込まれていく光景を,ファンは毎年何度目にすることか!偉大な才能が,凡庸な審判によって救われもし,奈落の底のたたき落とされもする。その点において,野球はきわめて不条理で,残酷なゲームと言える。だからこそ多くの日本人が,野球のゲームに人生の縮図を見てしまうに違いない。凡庸な神(審判)に弄ばれる偉大な人間(選手)たちの闘い,苦悩...これこそギリシャ悲劇が見事に描いた,人間の運命そのものではないか!?
まず自分が,味方がミスをする(投げ損じ,打ち損じ)。だから,自分と仲間,そして審判のミスをいかにやり過ごし,相手のミスにつけ込むかが野球の必勝法だ。敵,味方,審判をとわず,ミスとどうつき合うか,これこそ野球の極意だ。それその点で野球は極めてメンタルかつ戦術的なスポーツなのだろう。だからこそ,日本人にこれだけ愛されているのだと思う。

ちょっと話しが逸れた気もするので... 本題=ホークス対西武の3連戦に話し戻そう。
審判も含め,だれもがミスをするのが野球だけれど。ここでという時に致命的なミスをしたり,ジャッジに足を引っ張られたのは西武だった。。西武の選手は,ホークスに負けたというよりは,自分に負けたというとても後味の悪い感触と共に所沢に帰るだろう。

流れは来ている!後はそれをどう監督,コーチが分析し,選手たちが活かせるかだ!
頑張れホークス!