街の感覚

今日は,2月に一度のお座敷の日。
お題はホメロス。おいしいお寿司を頂いた後に,『イリアス』のお話や,それに関連する絵画,彫刻をお見せしてお茶を濁す
その後は,軽く雑談。
半世紀以上タクシー会社を営む方にお話をうかがう。新幹線開通,花博開催といったイベントのおかげで,本来なら,売り上げが少しは伸びてしかるべきなのに,東日本大震災の影響のせいか,営業成績は創業以来最大の落ち込みを経験しているとのこと。観光客は公共の交通機関に流れて,タクシーはまったく相手にしてもらえないそうだ。
そういえば,昨日,通院のため街の中心部に出かけた時も,人の少なさに,おもわず「今日は日曜日のはずだけれど?」と自問したほどだった。
景気や経済のことはよく分からないけれど,3月11日以来,<すべてがあっというまに濁流に飲み込まれ,流される>映像ばかりを,何時間にも渡って目にすると,誰だって自分に大切なことしかしたくない,本当に納得できないと金を使いたくないという気持になるのかも知れない。
そしてこれはもしかすると,いわゆる<自粛>ムードとは現象としては似ていても,本質はかなり違うムーヴメントなのではないだろうか?
上手く表現できないのだが,今消費が落ち込んでいるのは,単に<消費者心理が冷え込んでいる>,<消費者は将来への不安に苛まれている>といったネガティヴな理由ではない気がする。
多くの人々が<どこまで無駄を削ぎ落とせるか>,<生活のスケールを小さくできるか>を積極的に追求しているのではないだろうか。そしてこの消費行動の背後には,従来,経済学者やコンサルの皆さんがもっともらしく仰ってきたように,生活防衛のためといった消極的な意味ではなく,<自分に取って本当に大事なもの>見極めるためという積極的,肯定的な意味がある気がする。
そしてそれは,長期的には,日本社会の今後に取ってなかなか意味があること,試してみるに値することであると思われる。
そもそも,私たち消費者は<すべてがあっというまに濁流に飲み込まれ,流される>,あれほどショッキングな映像ばかりを何時間も,何日間もぶっ通しで見続けたのだ。いわば,この国に暮らす人々全員が大きなトラウマを経験したようなものだ。たとえ,テレビやネットを通じてだけであれ,あれだけの経験をしたのだ。その後で,私たち消費者がこれまでとまったく同じような消費行動を取れる訳がない。取れというのがむりだ。
それでも,私たちにかつてと同じような消費を,もしもデパートや,旅行業者やメーカーが期待しているとすれば,そういう方々って,言葉は悪いけど... かなり頭悪いんじゃない?