予言的介護小説:カフカ『変身』あるいは2000冊の1冊

若い友人と『変身』を読む。
高校時代に日本語で読んだときも,学生時代にフランス語で読んだときも<不条理>とか,<意味の不在>っていう文脈で読んでいたきがする。
今回,読み直してみて,映画的におけるモンタージュのような視点の効果的な切り替えを彷彿とさせる箇所をいくつか発見した。カフカは1883年に生れ,1924年に亡くなっているのだから,きっとかなりの映画をみていたはずだ。1925年の『戦艦ポチョムキン』を見るには1年早くなくなってしまったようだが。「カフカと映画」,中々興味深い研究テーマだと思うのだが...
しかし,今回の再読で一番びっくりしたのは,今の私には,この小説を介護小説としてか読めないのである。介護とか,引きこもりの問題を抱えていたり,そのリクスを感じながら生活している友人,知人,同僚がたくさんいる年頃になって『変身』を読み返すと,『変身』が時代を先取りして小説に見えてくる。もっとも,介護や,青少年の問題を家庭に押しつけるのではなく,社会で解決しようとするヨーロッパに人が『変身』を読んで,介護小説と読むかどうかは,かなり疑問ではあるのだけれど。
2000冊の話しはまた今度。