『千羽鶴』


先日,増村保造の『でんきくらげ』(1970)と『千羽鶴』(1969)を見た。あまり期待せずに映画館に足を運んだのが,両方ともとても面白い映画だった。で,きょうは『千羽鶴』の話し。
千羽鶴』は男女の我がままをそのまま映像化したような内容だった。平幹二朗演ずるある男が,かつては父親の愛人だった二人の女性から,父親の死後も世話を焼かれる。一方の女性(=京マチ子)は自分が選んだ若い娘と男を結婚させようとする。もう一方の女性(若尾文子)はみずからが彼の愛人となろうとし,実際関係を結んでしまう。しかもこの女性が病死した後は,男はその一人娘とも結ばれてしまうというストーリー。
二人の女は,かつての愛人が残した一人息子に自らの分身をあてがうことで,あるいは自らが関係を結ぶことで,かつての愛人をふたたび取り戻そうと必死だ。
一方,男もかつて自分の母を苦しめ,家庭を台無しにした女と交わることで,母への復讐を遂げつつ,自分にとっては激しい愛憎の対象である父と一体化しようとする。
原作は,男のファンタスムまるだしの,川端康成の小説(恥ずかしながら未読)なので,下手をするとドロドロした映画になってしまいそうだ。しかし,映画を見終わったときにはある種の開放感を感じさせる。若尾文子演じる女の娘を含め主要登場人物の誰もがスロットル全開で自らの慾望にひたすら忠実に行動するので,ある種の爽快感がただようのだ。その点において,とても増村保造らしい作品といえるかもしれない。