プロであることが大変な世界

テレビやネットのニュースによると,2020年開催予定の東京オリンピックのエンブレムについて、大会組織委員会佐野研二郎氏のデザインしたエンブレムの使用を中止する方針を固めた,らしい。
今回の佐野騒動は,プロとは何かを考える上で,なかなか教訓に富んでいるように思える。
リエージュの王立劇場のロゴを作ったデザイナーから「わたしが考案したロゴと不自然なほど似ている」との指摘を受けた後の,プロとアマの対応の違いは際立っていた。
一般のネット民は,佐野氏の過去の業績を洗い出し,毎日のように佐野氏のこれまでの作品と他者の先行作品との類似点,というか全く同じということが圧倒的に多かったので,同一点を指摘して,佐野氏のプロとしての技量だけでなく,プロとてしての倫理性をも糾弾した。
一方,プロのデザイナーの言説は,佐野氏を擁護する論調が目に付いた。その理由としては,以下のようなことが考えられる...
プロのデザイナーからすると,東京オリンピックのエンブレムとリエージュ王立劇場のエンブレムが似ている程度のことは,デザインの世界ではよくあること,らしい。そこから2つの主張が生まれる...
1)自分たちの利益最優先,この程度の類似で大騒ぎされたら,私たちデザイナーはおまんまの食い上げに陥る。
2)根拠のない一般人蔑視:俺らプロの仕事に口出しするなんて素人は頭が高い。
そして,佐野先生ほどの大家が,これほど重要なコンペで安易な盗作まがいのことをするはずがない,という思いもあっただろう。まあ,性善説といえば聞こえはいけれど,すこし厳しい言い方をすると,
3)権威主義
にほかならない。
1),2),3)のいずれもまあ,日本にはおなじみというか,日本人のアイデンティティーのようなものなので,もう諦めるしかないのかもしれない。ただ,2)について時代は変わりつつあるという気もするので,教訓めいたことを引き出して,他山の石としたい。

今回,エンブレムの審査員や広告業界から,一般人を蔑視したような発言が,ネット住民の怒りを煽って,佐野氏の過去の盗作まがいの作品が次々に明らかにされていった。審査員や業界人がもう少し違った対応をしていれば,これだけ多数のしかも絶対的ともいえる,盗作疑惑が明らかにされることはなかったかもしれない。
おそらく,今回の騒動であきらかになったことは,ロゴやエンブレムのデザインといった分野ではもはやアマとプロの違いは絶対的なものではなくなってしまっている,ということだろう。そして,エンブレムの審査員や広告業界の人たちも,このことに全く気がついていなかった。これが今回の騒動のなんとも面白い点だ。
ネット上で面白いカタチやデザインを見つけてきては,それを画像加工ソフトでアレンジすることは,今日多くの人が日常的に行っていることだ(著作権保護の観点からの善悪は,今日のテーマではない。悪しからず)。そういう人たちはたまたま多摩美グラフィックデザイン科卒とか,博報堂勤務といった肩書きをもっていないだけで,センスや実作経験では業界人に引けを取らない。
おそらく,狭い業界だけで暮らしていると,そういうことがわからなくなってしまうのだろう。井の中の蛙大海を知らず,ではなくて業界の蛙,ネットの大海を知らずということのようだ。
おそらく,コンセプトとか哲学といった逃げ口上がうてない,高度な専門知識に基づいた具体的な結果を求めらる飛行機や潜水艦のデザインでは今回のようなお粗末なことは起こり得ないだろう。

今回の経緯からすると,広告業界ではプロとアマの差がないというよりは,アマがプロを上回ってしまったという気さえする。
そして,広告業界で起こったことは,つまり,プロとアマの逆転現象は,他の業界でも起こりうるし,まだ顕在化していないだけで日々いろいろなところで進行しているはずだ。
プロがますます住みにくい世界。プロはますます謙虚に,自分に厳しく,日々精進するしかないのだろう(自分に言い聞かせているつもり)。