再び... 小津安二郎『麦秋』について...

卒論演習で,小津安二郎の『麦秋』について学生諸君と話し合う...
つくづく,不思議にして不気味な映画だ。
くどいけれど... これだけ結婚をネガティヴに描くという点では,映画史上でもこの作品を超える作品は沢山はない気がする。この映画では誰もが<結婚を耐え忍んでいる>ように見える。
紀子の縁談が決まるや家族全員が落ち込む。この紀子の結婚には他者との出会いがない,他者と出会うことによって自分が変わる,このような結婚に対して誰もがいだく夢・ときめきがまったくない。彼女が結婚相手に選ぶ男性も,戦死した兄の親友。いわば幼なじみにして,兄の分身である。だから,この結婚相手の選択も,結婚しても自分が自分自身であることをつらぬく為の,結婚から<身を守る>ための方便のようにさえみえる。
一方,結婚を通じて,家族は崩壊する。そりゃそうだ... ヒロイン紀子=原節子のいる間宮家の表面的な幸せ,金銭的・物質的余裕はなかば紀子の自己犠牲によって成り立っている。
兄=笠智衆が研究に専念できるのも,彼女が仕事の合間に彼女が両親や甥(つまり兄の子供)の面倒を見ているからだ,義姉=三宅邦子が当時としては贅沢品のケーキを買えるのも紀子が経済的な手助けをしてくれるからである。
結婚は巨大な暴力であり,それからいかに身を守るかが,大きなテーマのようだ。
だが,それにもかかわらず,紀子は結婚する。
なぜなら,結婚が唯一自分に出来る,<家族から脱出>するための方法だからだ。
結婚が極端なまでに否定的に描かれていながら,それでも<家族>から解放されるには<結婚>という方法しかない...『麦秋』の世界とはなんともやりきれない世界だ。

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