練炭女に戦いている男はフランソワ・オゾンの映画を見よう

市民講座
先週は... 数字の読み方を急ぎすぎて... <ノックアウト>(©某受講生のアンケート)された方が続出したので,もう一度ゆっくりとおさらい。
授業の合間には,フランソワーズ・アルディの「個人的なメッセージ」を聞いていただく。
どうしてこの歌を選んだかというと...
東京/千葉/埼玉方面で起こった<練炭女>事件のせい。
世の中は男と女でできているけれど,男にとっては世の中の半分を占める<女>のことは本当に分からない存在。そんなきわめて当たり前のことを教えてくれるのがこの事件の教訓かと...
男にとって女は分からない。というか,勝手にそう思い込んでいる。<分からんもん>として自分の世界からは切り捨ててしまえばいいものを。その<謎>に,自分にとって都合のいいメッセージやサインを読み込もうとする。<性幻想>というやつでございます。だからこんな惨劇が起こってしまう。
世の男どもがこの事件に関心を持つのは(女性は,おそらく「なんであんな不美人にあまたの男が!私ならもっとうまくやってみせる」って感想でおしまいでしょう),今回の事件が自分の女性に対する接し方の深部にある何かを思い起こさせるからだと思います。つまり,いかに性幻想から自由になることが難しいかを,嫌というほど教えてくれる(もっと直裁に言ってしまえば「男はずっと女から逃れられない」とうことでしょう)。
ところが,世の中にはこうした性幻想から自由な一握りの人がいる。そんな一人がフランソワ・オゾンという映画監督。
彼の世界は見事なほど女への幻想から自由。そしてそんな彼が異性間のセックスを描くと... 目も当てられぬほど即物的で,女性を描くと「よくぞここまで!?」というほど,女性の残酷さをえぐり出す。
『8人の女』はまさしく,そんな映画。薄皮を一枚一枚丁寧にはがすように,女性の嫌らしさを描いていきます。
で,この映画がどう「個人的なメッセージ」とつながるかというと,この歌を映画のなかでは大女優イザベル・ユッペールが歌っているのです。
機会があればぜひ,ご堪能ください。
画像(フランソワーズ・アルディ):http://www.youtube.com/watch?v=SNFIxBRRxtM
画像(オリヴィア・リュイズ):http://www.youtube.com/watch?v=3hd4Mi-UeXc&feature=fvw
歌詞:http://www.paroles-musique.com/paroles-Michel_Berger-Message_Personnel-lyrics,p7677
拙訳は...

電話の向こうにはあなたの声
そして,私が口にはしない言葉
笑いがなければ,恐ろしいだけの言葉たち
あまりに多くの映画で,唄で,本で繰り返される言葉たち
あなたにその言葉を言いたい
その言葉を生きたい
でも,私はそうしない
そうしたい,そうできない
私は一人でくたばりそう,そして私にはあなたがどこにいるのか分かっている
今行くから,待っていて,お互いのことをよく知りましょう
時間を取っておいて,あなたのためなら,私はいくらだって時間がある
行きたいの,でも私はここにいる,自分が嫌になる
私にはできそうもない
そうしたい,そうできない
私はあなたに話すべき
私は行くべきなの
私が眠るべき場所に
私の言葉があなたに通じないのではないかと思うと怖い
あなたに勇気がないのではないかと思うと怖い
自分が出しゃばるのが怖い
もしかすると愛しているとあなたに言えない

でももしもいつかあなたが私を愛していると思うなら
あなたの思い出が私の邪魔になるなんて思わないで
そして,走って,走って,息が切れるまで
私を見つけに来て
もしもいつかあなたが私を愛していると思うなら
そしてその日,
これらすべての道がどこにあなたを導くのか分からないなら
私を見つけに来て
もしも生きるのが嫌になったら
もしも人生の退屈が
あなたを襲ってきたら
私のことを思って
私のことを思って

もしもいつかあなたが私を愛していると思うなら
それを問題だなんて考えないで
そして,走って,走って,息が切れるまで
私を見つけに来て
もしもいつかあなたが私を愛していると思うなら
一日も待たないで,一週間も待たないで
だって,人生には何が起こるのか分からないのだから
私を見つけに来て
もしも生きるのが嫌になったら
もしも人生の退屈が
あなたを襲ってきたら
私のことを思って
私のことを思って

でももしあなたが…