教育における実験とは...)

もう一週間前にもなるのだが(10月31日,恵比寿),フランスの実験的な小学校の取り組みを3時間近くに渡って聞く機会があった。
パリ,20区のヴィトリューヴ小学校の取り組みだ。この実験は1962年にフランスの初等教育の刷新を目指した視学官のロベール・グロトン(Robert GLOTON)の呼びかけに応じて集まった教員たちによってはじめられた。当初はいくつかの学校で同様の試みが行われていたのだが,71年からはヴィトリューヴ小学校だけになったらしい。
*学校の運営の仕方(校長先生がいない,毎年ローテーションで変わる<調整係(コーディネーター)>がいるだけ)
*授業の仕方(教科書がない,宿題がない,生徒が互いに教えあうことを重視,課外活動もたくさん,宿泊学習はなんと2週間におよぶ)
*保護者との関係(保護者が積極的に学校の教育活動に関与)
*児童と大人の関係(学級会議などを通じて,学校の運営に児童が関与)
といった点で,普通の学校とくらべると,革新的とも言えることが日常的に行われている学校のようだ。
いくら自由,特に教員の自由が日本よりも強く保証されているフランスとはいえ,ここまでとんがった運営の学校が,中央集権的なフランスのお役所,とりわけ国民教育省とうまくやっていけるわけがない。
この学校の児童の学業上のパフォーマンス,学校観,自己イメージが他の学校に比べて遜色なく,むしろ秀でていることが分かった,つい数年前までは,お役所とはいろいろなもめ事があったらしい(今では実験校として認可されているとのこと)。
もちろんこうした学校が長く(40年以上も!)続くには,先生の<献身>(学校を紹介された,ヴィトリューヴ校の先生はこの言葉は使われなかったけれど)が不可欠だろう。やはり,この学校では,常に教員同士が教え方,学校のあり方について,たえず議論し,プロジェクトにし学校全体で取り組んでいらっしゃるとのこと。
だが,献身だけで40年も続くはずがない。
ヴィトリューヴ小学校の取り組みで,一番ハッとさせられたのは,結局のところここの先生方が,他の同僚を,そしてとりわけ子供たちの力を信頼していることだ。多くの教師は,ある境界線を引いて,それを基準に出来る・出来ないを判断しがちだ。
もちろんヴィトリューヴ小学校にも勉強が得意な子もいれば,そうでない子もいる。その力をとりあえず能力と呼んでおこう。だが能力に応じてどんな子だって<伸びる>ことは可能だ。その意味でみんな,可能性があるのだ。そして,ここの先生方はその<可能性>を信じ,日々仕事をしてらっしゃるようなのだ。
とても貴重なお話でした。関係者の皆さんに深く感謝。

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