またまた総理大臣が変わった...

野田佳彦さんが民主党の代表になって,またまた日本の総理大臣が変わった。海の向こうでは,毎年総理大臣が変わる事態に報道官が失笑したらしい。そして,それがまた日本でニュースになっている... 一方で,新聞・テレビの報道によれば,多くの人が「誰が総理をしても同じ」と考えているらしい!
では,なぜ誰も,とりわけ国益を最優先するべき国会議員の一人として,「誰がやったって同じなのだから,とりあえず管さんにさせておけば,毎年総理大臣が変わるという滑稽な事態は避けられるから,もうしばらく管さんで我慢しない」と言わなかったのだろう?
国民も,自民党も,あれほど無能呼ばわりしていた管さんが退陣したのだから,もう少し喜ぶべきだろう!
しかも,この国難の時にどうして野党の議員たちは国益よりも,民主党攻撃を優先しているように見える言動を繰り返すのか?そしてそれに対して大きな非難の声が(小さな非難の声は起こっていたようだが)起こらないのか?おそらく,他国,もちろんこの場合は議会制民主主義が定着している国のことだけれど,他国が同じ状況に直面していれば,与党に協力しない野党,しかも予算のあとは解散ねなどととぼけてことを言っている野党は激しく非難されていることだろう。
野党であれば,子供のように与党の揚げ足をとって,オープンな形で政策論争をせずに,ひたすら与党,あるいは行政トップにある人たちを攻撃し,ネガティヴ・キャンペーンに終始する。これは日本の政治文化が造りだした病気なのかもしれない。
日本では戦後ずっと,自民党の単独政権が続いた。選挙を何度繰り返しても自民党に野党が勝てない。そこで,政策の立案で与党に建設的な批判をするのではなく,どんな手を使っても,内閣を解散させ,政権を勝ち取ることが自己目的化してしまった。もちろんこのようなハイエナのような野党の態度は,国益という点からも,政治のあり方としても,政治家の生き方としても,容認できるものではない。だってあまりにせこ過ぎるもの!だって,選挙に負けた意味(=「君らには私たちの信用して預けられません,もう少し勉強して,出直してください」という国民からの深刻なメッセージ)が全く分かってないんだもの!
しかし,自民党の単独政権があまりに長かったので,どんな状況でも「政権交代」「政権奪取」とだけしか主張できない野党のこの異常な事態を,いつの間にか誰も不思議と思わなくなってしまった。それに,いつ政権が交代するかもしれない!という雰囲気を醸し出しておいたほうが,新聞や雑誌も売れるだろうし,テレビニュースの視聴率も上がるだろう(この点,日本独特の政治文化を造りだしてしまったマスコミの責任は大きいと思う)。
しかし,自民党政権時には,いろいろな要因(そこには政治以外の要因も多々あるかもしれないのだが)が重なって,日本の生活レベルはドンドン改善,向上していたのだから,当時あえて自民党以外の選択肢をあえて採る必要はなかったのかも知れない。そう考えると,高度成長+バブルの<政治的なつけ>を,私たちは,もっとも政治が必要なこの次期に払わされているのかも知れない。
ちなみに,憲法の前文にはこう書いてある。

そもそも國政は、國民の嚴肅な信託によるものであつて、その權威は國民に由來し、その權力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

如何に選挙に勝って,国民の信託を得ることの意義が重大か,これほど立派な文体で謳っている文章がほかにあるだろうか?幸か不幸か,私たちは2009年の晩夏に民主党に今後4年間の日本の行く末を預けてしまったのだ。その選択の重さを,民主党も,野党もわれわれも,もう一度思い出すべきではないだろうか?
後,2年間で日本が無茶苦茶になれば,その時には選挙で,現在の民主党議員に退場願えばいいではないか。
どうせ,人口や,地政学上の状況や,経済の不安定(いずれも政治が即効性のある対策を打ちがたい問題)で,われわれの暮らし向きを政治の力でよくすることが難しいなら,せめて,オープンで,レベルの高い,建設的な政策論争を,政治家の皆さんにはお願いしたい。そして,それを許容する懐の寛さを私たちも持ちたいものだ。