『星の王子さま』の偉大さ

今日の晩は,とある勉強会に呼ばれて一時間半ほど講話をさせていただきました。テーマはサン=テグジュペリ(フランスでは,サンテックスと呼ばれることも多いようです)の『Le Petit prince星の王子さま)』。
多くのフランス語学習者のように,大学一年生の頃にフランス語で読んだ覚えがあります。わからないところにぶつかる度に,岩波書店から出ていた内藤濯訳(当時は版権の問題でこの訳しかありませんでした)に頼って,そのせいでますます混乱するということを繰り返しました(この訳書が仏文業界でも有名な問題の翻訳であるのを知ったのは数年後のことでした)。そのせいか,読了後も,ピンとこなかったのを覚えています。
その後,キツネの有名な一節を読んで胸を打たれたことはあっても,作品全体を再読することないまま,今日に至ってしまいました。
今回の講話のために改めて『Le Petit prince』さして期待もせずによんでみたのですが... 最近の読書では経験したことがないほど胸を打たれました。
作品の中で王子は色々な出会いを経験します。王子に深い痕跡を残す出会いもあれば,「空振り」のような出会いもあります。もちろん「空振り」の出会いのほうが多いのは,私たちの人生と一緒です。そしてたまには決定的な重要な出会いを経験をします。重要な出会いが本当に重要な出会いになるには時間や手間や忍耐が必要です。王子にもいくつかんそういう出会いを経験します。しかし出会いには別れがつきものです。
数多くの空振りの出会いの末,やっと偶然 /運命のおかげで誰かと出会う。そして,その出会いを真に意味あるものにするために,時間をかけ手間をかけ,やっと出会った誰かと絆を結ぶことができます。作中のキツネの言葉を借りれば「てなづける」「互いに互いが必要になる」という状況をつくることができます。しかし,その出会いの後に待ち受けているのは。決定的な別れでしかありません。別れは明日なのか,30年後なのか誰にもわかりませんが必ずやってきます。別れは,誤解の挙げ句のすれ違いあったり,死別であったり,いろいろでしょう。しかし決定的であること,やり直しがきかないことだけはたしかです。そして王様は作品の中で,出会いと別れを繰り返す。私たちのささやかな人生と一緒です。
しかし,『Le Petit prince』は出会いと別れの残酷さ,虚しさだけが描かた作品ではありません。本当に大事な人と出会った時には,その人との別れの後に自分の中に<何か>が残ります。それは物の見方・感じ方,価値観,ちょっとした仕草,笑い方などいろいろでしょう。でも出会いを経ることで,自分は確実に昔の自分とは違った誰かになることができます。少しだけ,出会い以前の自分よりも豊かになることができます。
そんな<出会いの両義性>が,この本にはとても簡単な言葉で描かれている。可愛い挿絵がたくさんある,こども向けの童話,絵本であるはずの『Le Petit prince』とは,私たちの人生の本質,もっとも感じやすく,傷つきやすく,だからもっとも豊かな部分を描いた本でした。そしてそのことに,ようやくこの歳になって気付くことができました。
講話の機会を与えて下さった皆さんに改めてお礼申し上げる次第です。