成瀬巳喜男が撮った鹿児島と大阪

昨日も仕事の後は,池袋の新文芸座成瀬巳喜男監督の作品を2つ見てまいりました。『めし』(1951年)と『浮き雲』(1953年)です。『浮雲』は言わずと知れた,成瀬巳喜男監督の代表作として評価されているだけでなく,日本の映画史だけでなく世界の映画史に残るといわれている作品です。
というわけで,『浮雲』はご存知の方も多いと思われますので,今日は『めし』について雑駁な感想もどきを書き記しておきます。
『めし』は恋愛結婚(当時としてはかなり珍しいのでは)後,大阪に転勤して数年(5年だったかしら)になる岡本初之輔(=上原謙)と三千代(=原節子)夫婦の危機と,その克服を描いた物語です。東京から転勤してきた初之輔には,大阪では友人,親戚はいません。三千代には,何人かの同窓生や親戚はいるものの,経済的格差のために,気軽に付き合うこともままならりません。証券マンとえいば,現代では高給取りというイメージですが(営業は大変でしょうが),どうも初之輔は高給取りではないようです。初之輔は証券会社につとめているとはいえ,その会社は大通りには看板を掲げることのできない中小会社なのです。因に時代は,関東大震災から3年という時代設定です。
気軽に愚痴をこぼしたり,相談したり,屈託なく時間を一緒に過ごせる友人・知人などがいない環境に,若い夫婦が何年も置かれていると,どうなるでしょうか?当時,大阪は東京から見れば,遠い異国です。旅行もままならなかったはずです,実際,東京や他の地方の観客へのサービスでしょうか,映画の中には大阪の町中を撮ったシーンが何度も出てきます。しかも,夫は二人の生活を支えるだけの十分な経済力がないとすると…?もちろん危機が訪れます。
そして,ついに三千代は東京に帰ってゆきます。二人の生活を見つめ直すため,といよりは,自分の幸せを見つめ直し,経済的自立を手に入れるために。もっとも,彼女の実家は川崎のようですが。
その危機がどのように訪れ,二人がそれをどのように乗り越えるか,それは映画を見ていただくことにして。印象に残ったのは,初之輔の人の良さです。大阪では登場人物の多くが,邪な欲望(近親相姦っぽい欲望とか,一攫千金を狙って不正を企てようとしたり...)を抱くのですが,初之輔だけは,愚鈍なぐらいまっすぐです。三千代のことも信頼しきっています。そして,映画ではこの誠実さが,彼を経済的困窮,夫婦の危機から救うことになります。川崎で初之輔と三千代が再会する場面で,初之輔が漏らす「ああ〜〜腹減った!」の一言を聞いたとき,彼がいかに妻を信頼し,妻を必要としているかがひしひしと伝わって来て,思わず目頭が熱くなりました(こんな一言に感動する観客もあまりいないとは思いますが)。

浮雲』のあらすじはご存知の方も多いでしょうから,気になった点を2〜3つ。
1)やはり,戦争の痕跡は大きいです。そもそも幸田ゆき子(=高峰秀子)と富岡兼吾(=森雅之)の二人が出会うのが「仏印」ですから。これは,今のラオスベトナムのことでしょうか?
2)戦争に関連して,アメリカの影も大きいです。主人公のゆき子は,仏印から引き揚げて来た後,生活のために,「パンパン」をして暮らします。しかも,映画ではその相手の米兵も登場します。二人がキスしたり,抱き合ったりするシーンはないものの,二人が親密さはしっかり描かれています。1950年代の日本映画で,ヒロインと米兵の親密さが,ここまではっきりと描かれている作品を,初めて見ました。成瀬監督も高峰秀子も偉い!と思いました。
3)成瀬監督の映画には,いずれの作品にも子供が,結構頻繁に出てきます。しかも子供の描かれ方は小津の作品とは大きく異なります。『浮雲』のその例に漏れません。
4)鹿児島は地の果て,屋久島は世界の果てです。この映画のラストで,富岡は屋久島に仕事を見つけるのですが,さいしょ屋久島は「屋久島という国境近くの島」と説明されています。いまでは週末の東京便は,リュックを背負った老人たちで一杯なのに!
5)4)とも関連しますが,映画の中の鹿児島弁は無茶苦茶です。県外出身の私が聞いていても笑いを通り超えて,怒りたくなる,,それほど無茶苦茶です。当時の東京の人が鹿児島をはじめとする地方をいかに軽視していたかが分かります。時代考証にうるさい人はいても,こういう所はだれも文句を言わないのは何故でしょう?鹿児島の人はもっと批判して言いと思います。
6)5)と矛盾しますが,映画の中の桜島,鹿児島港は綺麗です。今,この瞬間に日本がなくなっても,パリやニューヨークのフィルムセンターにきっと保存されているはずの『浮雲』のおかげで,1950年代の初頭の桜島,鹿児島港,錦江湾のイメージが保存されているとおもうとちょっとうれしくなります。