アレクセイ・ゲルマン『神々のたそがれ』

予告編を見たら,「名前は覚えていないけれど,この監督の作品はどこかで見たことがある!」と思って調べてみた。数年前に『道中の点検』(1971年)を見たらしい。とてもいい映画だった。
というわけで,『神々のたそがれ』を見てきた。映画が始まると,上映の前に映画館の支配人が「では,頑張ってご鑑賞ください」と言っていた訳がすぐに分かった。こんな無茶苦茶な映画(もちろん敬意を込めた褒め言葉です)を見たのはいつ以来か。
ほぼ全てのカットがかなりの長回しで,その上アップのショットばかり。しかもその間,登場人物たちはあっちに行ったり,こっちに行ったり,雨が降ったり,雪が降ったり,登場人物は食べたり,飲んだり,唾を吐いたり,人体を傷つけたり,カメラに向かって喋ったりし続ける。しかも,ヨーロッパの中世を思わせる舞台装置は,細部まで偏執的=変質的と言っていいほど凝りに懲りまくっている。しかも奇をてらったり,執念のようなものが画面から伝わってこない。監督にとっては,すべてこうあるべきという必然性が伝わってくる。
ラスト近くで主人公が述べている世界観が,19世紀に例えばドストエフスキーが長編小説(『悪霊』とか『カラーマゾフの兄弟』)で表現していたそれと比べてどれだけ違うのかはちょっと疑問だ。けれども,画面はそういう議論を無効にしてしまう力に溢れている(とはいえ,誰がこの映画にお金をつぎ込んだのか,なぜそうしたのか,ぜひ知りたい!)。おそらく,ヨーロッパ文明の辺境の地に生き,極寒にして,広大な荒野の中で生きる孤独,人間のいやらしさを知りながらも,人間同士協力しないと生き延びることができない文明圏で生きることを余儀なくされた人でないと絶対に撮れない映画だと思う(どんなに才能のお金があっても,この映画だけはハリウッドでは撮れません!)。

映画の恐ろしさを味わいたい方には絶対にお勧めしたいです。

こんな映画,誰が見るのかと思いながら映画館で開場を待っていたら,学生時代に同じ研究室にいらした先輩に数年ぶりに遭遇。お互いあんまり変わってないのかも。こんな映画の上映で再会できて,ちょっと嬉しかった。

参考:採点不能(敬意を込めて!)