PTAとは:学校は何でも屋さんではない

最近,ネットでPTAの存在の異議を巡る議論をいくつか読んだ。それを読みながら思いつたことをダラダラと書き綴ると...

PTA、やらなきゃダメですか? (小学館新書)

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まず,PTA経験者はみなさん口を揃えて仕事の大変さはに言及される。で,その大変さに意味を見出す人がPTA擁護はで,労力に見合う意義を見いだせない人が反対派に回るというのが,大まかな図式だろうか?でも,そもそもなぜPTAの仕事は大変なのだろうか?PTAのお仕事が多いのだろうか?
それは,やはり学校の教育+事務スタッフで出来るサーヴィスと,社会が学校から期待するサーヴィスとの間で,質/量ともに大きな隔たりがあるからではないだろうか?そしてそのギャップを埋めるために学校としては猫の手ならぬ,親の手も借りたいということになるのだろう。
PTAがやっぱりコワい人のための本

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もう少し,現実を見るというか,教員たちに何ができて,何ができないか区分けしたり,そして学校は何を優先すべきか整理する時期に来ている気がする。そして,今学校で行われている授業以外の活動・行事に意義があるなら,それは社会がきちんと支援すべきだ。つまり,きちんと予算をつけて,マンパワーの強化を図るべきだろう。
例えばベルマークだが,今日日もう少し合理的な方法があるはずである。運動会は本当に日本の社会に必要なのだろうか?運動会は子供達に,社会にどのような貢献をしているのだろうか?運動会のおかげで,日本人は運動能力に秀でていたり,チームで作業する時に効率が上がっているのだろうか?甚だ怪しい。そうなら世界中から日本の運動会に視察に訪れているはすだ。どちらかというと,民族的奇異に近いのではないだろうか?運動会のおかげで,家族の絆が強まっているのだろうか?地域の輪が強化されているのだろうか?正規の授業を潰してまで,運動会の練習に膨大な時間と労力をかけるに値する教育的効果を上げているのだろうか?運動会前と運動会後では,子供に成長の跡が見られるのだろうか?
もう一部の人の頑張り,犠牲を当てにしたシステムの維持に躍起になるのはやめたほうがいいのではなかろうか?
くたばれPTA (新潮文庫)

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