日本の教育制度は悪くない?

ジェラルディーヌ・アンドレの『進路指導』という本を読んでみました(ANDRÉ Géraldine, L'Orientation scolaire, PUF, 2012)。私は教育学,社会学の教育をきちんと受けたことがないので,分からない所だらけで,雑駁とした感想しか述べられないのですが...
まずはいかに大学が大衆化したとはいえ,それでも大学に進学する人は豊かな国でも若者人口の半分程度でしかないことを改めて痛感しました。そして,前期中等教育から実業系の高等に進学する若者の文化資本については,以外と分からないことだらけであることも。
また,高校受験のないベルギーでは,進路選択において中学の職員会議の発言力がきわめて大きいことが事実として確認できました。この本では工場移転のせいで寂れてしまったベルギーの工業都市がフィールドになっていますが,此処で語られている事例は恐らくフランスにも当てはまりそうです。極論すれば,職員会議で先生がこの生徒は普通高校に行くか,実業系高校に行くかが決まってしまうのです。普通課程の高校が実業系の学校よりも社会的に上位と認知されているのはベルギーも日本と同様です。
しかもいったん実業高校系に振り分けられると,そこから大学に進むのは(例えば日本と比べると)そう容易なことではないと思われます。中学校最終学年半ばの成績でいわばその後の人生の身の振り方が決まってしまうという切迫感が日本より強いわけです(少なくとも,この本で紹介されている中学校の先生の話を読むかぎり,そう感じられました)。
しかも,成績の悪い生徒への救済措置(例えば補習や,NPOによる放課後補習)を取るか取らないかも,成績からして普通課程と実業課程のボーダラインにいる生徒の処遇も,職員会議で決まります。そうすると,親の学歴・職業,親のPTAでの活動,とりわけ生徒の教師や学校に対する<態度>が,日本から見ると想像もできないほど重要になります。
つまり,同じ程度に学校の勉強ができない子供がいれば,お坊ちゃんやいい子が進路選択の上で圧倒的に有利になるのです。自分の希望する進路に進みやすくなるわけです。フランスの学校を訪問した際に私自身薄々感じていたり,噂としてフランスの友人から聞いていたことが,民族学的手法を取り入れたこの本では,調査結果としてはっきりと示されています。
その結果,どういうことがおこるでしょう。子供には自由がなくなるのです。教師の権力が絶大なので,生徒は教科以外でも教師の教え・考えや,学校で重視される価値を受け入れ,それに従わざるを得ません。日本では生徒は教師や学校に反抗しても,テストでいい点さえ取れば,誰にも邪魔されず進路選択ができます(だから,日本では塾が流行り,教師に権威がなく,そのせいで時代遅れの校則がいつまでも残り,体罰が横行するのでしょう)。
フランスの中学生は,一見すると日本よりも自由に見えるかもしれません。制服はないし,持ち物検査も,衛生検査もないのですから。校則も日本ほど厳しくないし,市民社会のルールが学校でも幅を利かせているように見える。そもそも1クラスあたりの生徒数がまったく違う!それに学食がない,しかも給食の中身は貧相きわまりない!フランス人から見ると日本の学校は,子供の人権を無視した,酷い場所に見えるでしょう!
しかし!です。生徒の内面はもしかするとそうではないのかもしれません。日本の方がずっと自由かもしれない(これを実証できる,何かいい調査方法があればいいのだけれど)。なぜなら,ベルギーやフランスでは学校・教師が絶大な力を持っているので,生徒は教師・学校の価値を内面化するよう,暗黙のうちに強いられているからです。
つまり,単純化してしまうと,学校が競争の場であるのは日本と同じでも,その一番大事なルール(つまり,どうずれば自分の希望する進路がかなえられるか)が隠蔽されているので,競争の前から勝負は(日本以上に)決しているのです。