ボー・ヴイーデルベリと日本の刑事映画

先月のことだが,ボー・ヴイーデルベリの『屋根の上の警官』を見た。

監督のボー・ヴイーデルベリはベイルマン,トロエルと並ぶスェーデンの3大映画監督とのこと。
ストーリーを紹介する。とある刑事が病院で殺害される。二人の警官が捜査をすると,殺害された警官は腐った警官で,あちこちで違法な行為を繰り返し,若い警官の妻を死に追いやったことが判明する...
私が見て驚いたのは3つのディテールを除けば,役者を日本人に変えて,背景を日本の街にしてしまえば,私が子供の頃に見た刑事もののテレビ・ドラマと見紛うばかりだということだ。つまり,撮影の仕方,編集の仕方,演出法がとても日本的であったということである。
これは何に由来するのだろうか?映画もそれを生み出した文化・社会のあり方を反映していると考えると,日本とスェーデン社会は私が想像していた以上に親和性が高いということなのだろうか?
それとも,刑事モノというジャンルの法則は非常に強固で,そのジャンルの法則に従ってしまうと,どこで誰がどんな時代にとっても同じような映画になるということなのだろうか...とはいえ先ほど指摘した,日本ではなかなか見られない3つのディテールがあったことは指摘しておきたい。
1)殺害された警官は病院で個室に入院していた。日本では刑事の給料で,個室に入院することはできないだろう...
2)映画の中では,若い刑事が出勤する前の赤ん坊がいる前で,セックスする。日本で,平日の朝出勤前に赤ん坊をほっといて,て早くセックスするカップルがどれくらいいるのだろうか?統計があれば,誰か教えていただきたい。
3)復讐を遂げた警官はラストの場面で,ヘリコプターを撃ち落とす。撃ち落とされたヘリコプターは誓えつの駅の出入り口に墜落するのだが,このようなシークエンスは日本では撮影できないだろう。
要するに,日本社会の貧しさを残酷に逆照射しているディテールだ。