私家版青空文庫

最近複数の知人から「本を切ってスキャナーしてパソコンに取り込んで使ってます。辞書なんか入れとくと便利ですよ」という話を聞いた... 最近はコピーをとるように高速スキャンしてくれる機械があるのだそうだ。まあ,私家版青空文庫みたいなもんだ。
翻って私... 高速スキャナーなんて持ってないのだが,資料を色んなサイトからダウンロードすることが確かに多くなった。
昨年行った2回の学会発表も,資料はほとんどがダウンロードである。昔は紙媒体に印刷して読んでいた。しかし,パソコンの場面でしか読まない資料が確実に増えている。資料をパソコンにダウンロードして,読んで,その後は適当に加工して,発表資料にしたり,論文のネタにしたり,授業の材料に使ったり...
なんとなく,ヴァーチャル空間に漂う,異言語で書かれた資料を,オーディエンス(一般読者,同業者,学生さん...)に合わせて適当に加工して生活しているような... 情報の仲買人になってしまった気がする。

風車小屋便り(新潮文庫)

風車小屋便り(新潮文庫)

カンディード 他五篇 (岩波文庫)

カンディード 他五篇 (岩波文庫)

自身の読書の仕方も,紙媒体が中心であるとはいえ,徐々に変わってきている。古典なら昔はペーパーバックを注文していたけれど,最近は電子図書館からダウンロードしてそれをパソコンの画面で読むことも多い。そんな感じで今はドーデ(!)の『風車小屋便り』やヴォルテールの『カンディッド』の初版本をダウンロードしてを読んでいる。ヴォルテールは,今とはフランス語の綴りも使うので,今日日のフランス語にしか触れない私のような浅薄な人間には結構新鮮な体験だ。ペーパーバックを電車や茶店で読むのも楽しいが,パソコンの画面とはいえ,18世紀や19世紀の初版本の字面を追うのも,当時の読書環境が少しだけリアルに感じられて,ワクワクすることができる。これは今日の一般読者を対象にしたペーパーバックでは味わえない気分だ。
本を読むスピードは10代から比べると確実に遅くなっているが,パソコンで文字を追うスピードは確実に速くなっているのが実感できる。
紙媒体に勝る読書形態はないと思っていたけれど... その確信がだんだん揺らぎつつある今日この頃だ。
寛容論 (古典新訳文庫)

寛容論 (古典新訳文庫)